私たちが大事にしている教育の形は、
子どもたちが「小さな自己決定」のプロセスを通じて、
「将来に向けた大きな自己決定」のプロセスを作っていくこと。
そのために必要なのは多様な関わりです。
働く人たちが意識的に多様な関わりと学びの場を作っていく必要があります。
また、人が育っていくためには「信じられている」という実感と
「強みを伸ばす」ための刺激を受けることが重要です。
子どもたちと学びながら、関わりを作り、「はる」の場作りに参画することが
スタッフの仕事になります。
ぜひ一緒に働きましょう!

・生徒と対話する力

・生徒を信じきる力

・生徒の力を引き出す力

・人の強みを見出す力

・協力することでより大きな仕事を達成する力

私たちが求めているのは、
これらの「力を持っていること」ではなく、
一緒に働く仲間が「これらの力を大事にしたい」
と思ってくれていることです。

・ブラックバイトの排除

・大学生活との両立

・多様な人たちとの関わりからいろんな経験を積む

・影響を受けあって、育て合う、育ち合う

・失敗を前提とした「やりたいこと」の実践

・教員等を目指す学生が実践を積む場

・何より関わりを楽しむ!

私たちは、みなさんがどのような将来像を描いているかに関わらず、はるで働くことが上記のような経験の場になることを目指して大学生スタッフと関わっています。あなたがあなたらしく活躍できる場であり、協力してより大きなことができることを実践する場であり、子どもたちやスタッフ同士、いろんな人たちとの対話を通じて、自ら考え、成長していく力を身につけていく場であることです。
例えば教員を志望しているあなたが、将来、自信を持って現場に向かえるように、将来に迷っているあなたが、多面的に考える力を身につけて社会に出ていけるように。私たちは、はるで働くことがそのような経験の場になることを目指して大学生スタッフと関わっています。

秋山 いずみ

北海道教育大学岩見沢校教育学部2018年3月卒業。NPO法人はるでのアルバイトを経て、現在は正社員として働いている。生徒の目線でしっかりと寄り添う真面目な先生ながらも、時々奇想天外なミスをすることがあるが、そこから面白い企画やアイディアが実現している。

松山 周平

北海学園大学経済学部2018年3月卒業。現在は、IRいしかわ鉄道(株)で、イベントの企画や駅周辺の賑わい作りにも取り組んでいる。はるでの愛称は「ましゅー」。自身の体験をありのままに話す姿や、アルバイトを卒業した後も生徒たちに関わり続ける姿から、今でも生徒たちの尊敬を集めている。

松田 卓也

北海学園大学工学部2019年3月卒業。現在は、建設業界で、様々な人と人との橋渡しをしたり、スケジュール管理などの縁の下の支えをしたりしながら働いている。はるでの愛称は「まつえもん」。はるの生徒たちと一緒に高めたコミュニケーション能力を活かしながら、社会に出ても頑張っている。

働く時間

 平日   16:20〜22:00(17:30からも可)
 土曜日  10:00〜12:00

時 給

 1,000円(900円からスタート)

通勤費

 実費支給 (1日600円まで)

必要とされる学力

 高校の英語または数学のセンター試験レベルまで教えられることが望ましいが、最低限の学力として、中学の英語・数学をある程度理解し、教えられる、もしくは学びなおすつもりがあることが前提。

働くには?

 まずは電話またはメールでご連絡ください。
スタッフ募集をしていれば、面接を設定します。
面接はいつも通りの格好でいらしてください。
履歴書もいりません。面接でお話を聞かせてください。
はるの理念と待遇面も理解した上で、
それでも働きたい!となれば(たぶん)採用です。

〒064-0916
札幌市中央区南16条西5丁目3-13
住地ビル2F 右側
Tel. 011-206-7659 Fax. 011-206-7685
Mail. kasaryo@haru-edu.jp

秋山 いずみ

河西先生(NPO法人はるの代表)と出会ったのは、うちの大学の教授と河西先生が知り合いで、その教授の授業に、たまたま河西先生がゲストで来ていて、講義を聞いたんだよね。発達障がいや生きにくい子どもたちの話だったんだけど、それが自分のことを言われてるみたいな気持ちになって。それでここで働いてみたいなと思った。それで河西先生に自分から「働きたいです!」ってお願いした。

ずっと自分は変わってんなーと思って生きてきたんだよね。生きにくいなー、人と交わるの辛いなーって思ってたんだけど、悩んでたこと全部そこに答えがあったという感じ。

最初はずっと戸惑ってた(笑)。ここの塾はマニュアルじゃなくて、自分でいろんなことを自分の考えで決められる。だけどその枠組みがないだけに、どう動いたらいいんだろうってことを、自分で考えなくちゃいけなくて、それが結構大変だった。あと、私はもともと、周りを見るとか、視野を広く持つっていうのがすごく苦手。でもここの塾は常に10人くらいの生徒が教室にいる中で、スタッフ2人とか3人で回さなきゃいけない。最初河西先生に「視野を広く持つんだよ、それがいずみちゃんの課題だよ」って言われたときに、「あーばれてる」と思った(笑)。

自分で考えなきゃいけないっていうのは、半年もするとそれに慣れてきた。逆に自分の意見を伝えられて、それからフィードバックを貰えるっていうのが面白くなってきて、自分から質問すればいろいろ教えてくれるってわかってからは、どんどん自分から声をかけにいってたかな。あと、視野を広く持つっていうのは、毎日シフトに入るときに視野を広く持とうっていう意識を持ってた。そうすると今はだんだん、目の端で誰かが動いてると、気づいて声かけられるようになってきたかな。でも最初は大変だった(笑)一番この職業向いてないなーって思ってた。

やっぱり生徒と関わるのが楽しい。驚かされるし、そんな発想があったんだ、ってなるし。
生徒が成長してるのを見るのが楽しい。あと、スタッフ同士の環境がいい。失敗しても、責められるんじゃなくて、じゃあどうすればいいんだろうっていうのを一緒に考えてくれるから、ここにいたら成長できるってずっと思ってるんだよね。

もう社員になって1年と半年、バイト始めてからは2年と半年なんだけど、慣れだしちゃうと、いろんなことがルーティーンになっちゃうから、それが問題だって今は思ってるんだよね。「なんでだろう?」っていうのを、ちゃんと無視しないようにするのが今の課題かな。

はるの不思議なところは、先生と生徒が、教える教えられるの立場だけになってないところだと思う。例えば、私が中学生の漢字のテストに本気で答えるっていうのがあったりとか(笑)。それぞれスタッフが、自分のありのままを出してるのかなって思うんだよね。それが距離感の近さとか、信頼関係につながるのかなとは思う。結構本音でしゃべるし私も。

佐々木先生(個別学習塾はるの教室長)が、いろんなことを面白がる人だからっていうのはあると思う。私は変なところでドジ踏むっていうか、ミスをするんだけど、(※秋山は最近紙コップを間違って大量発注した)人がミスしたことに対して、「お前何なんだよ、そんなこともできないのかよ」っていう人はきっと多いけど、そこに対して佐々木先生は本気で面白がって、生徒と新しい企画をつくっちゃう(笑) 安心して素を出せる。

失敗しても大丈夫ってなるんじゃないかな。大人を見て。私も、わざと失敗してるわけじゃないけど、失敗を見せる場があってもいいのかなって思ってる。でもいまだに難しいところもあるんだよね。例えば自分ができないっていうのを隠したくなったりとか。正直、わからないことを言えない時もある。でもわからないからほかのスタッフを頼るとかが出来れば、そのスタッフが活躍する場ももっと作れるし、わからないことを認めないと、そこに向き合わないと思う。だからわからないことを素直に言えるのって大事だなって思う。でもできない時もある。まだまだ。

スタッフ同士がどうやったらいいチームになれるかなっていうのを考えてる。曜日固定で毎週入れる人もいるけど、そうじゃない人もいるから、より質の高い関わりをするための情報共有の仕組みとかを整えていきたい。どうやったらみんなが、お互いに刺激しあいながら、いいチームになれるかなっていうのを考えたい。指導にばらつきがあると、お父さんお母さんも納得しないと思うし、本人の成績にも結び付かないと思うから。個々にそれぞれがいいことを考えてるんじゃなくて、それをちゃんと共有して、じゃあみんなでどうしていこうねっていう仕組みを作りたいなって思ってる。

今いろんないい要素が出てきている。はるでのイベントだけじゃなくて、中島公園でイベントやろうとか、野球のイベントの企画に高校生が携わったりとか。そういう動きがもっと増えたら面白いなって思う。これをやりたいねっていうのがいっぱい実現できたらいいなって思う。

松山 周平

一言で言うと、河西先生(NPO法人はるの代表)がいたから。高校時代、塾に通ってた時の、最初に通い始めた時の塾長が河西先生だった。すごいよくしてもらって、その時今より体弱かったし、急に休んだりしてたんだけと、すごい話聞いてくれて丁寧に対応してくれたのがあって。なんか恩返ししたいなーと思った。でも河西先生は俺が高2の時に塾長をやめちゃうんだよな。それでしばらく会ってなかったけど、俺が大学1年生の時に、塾やってるって話聞いて、働いてみないか?という話になって、じゃあ自分でよければお願いしますという感じ。

先生との距離が近かった気がする。
普通に趣味の話とかしてた。野球が好きだったから野球の話とか。
お互いに先生と生徒以外のことも話してた気がする。

恩返しするつもりで来たけど、そこからさらにギフトを貰ったというか、色々といい機会を貰ったなと思う。自分が塾生だった時から、(河西先生に)松山君のこういうところはいいけどこういうところは良くないと思うみたいな話を昔からしてもらえてたから、そこからさらに発見があって。
人間としての成長をさせてもらった気がする。それはすげえ思った。

同じ話題をするようにしてたかもしれない。先生同士で話をすることを普通に生徒にも話してたかも。だって一人の人間でしょ?っていう感じ。年は気にしてなかった。自分の思ってることを年下だから言わないって違くね?って。自分が話したがり屋だからっていうのもあるかも。あとは途中からだけど、気取らないようにしてた。失敗した自分を出すようにしてた。全部うまくいくとかじゃないよって。自分はこういうミスしましたっていう話もするようにしてた。自分と同じミスを知らなかったが故に同じことを繰り返すって、世の中的によくないっていうか。なんで同じミスを繰り返す人を再生産してるんだろうって思った。自分はこういう失敗をしたから、どっかで道違ったら違ったかもねっていう話も出来るかなって思ったし。だから就活の時「落ちた」とかも平気で話してた気がする。
あとは気を付けてたことは、俺結構集中すると視野狭くなる方だから、そこは気を付けてたかもしれない。一人の生徒をじーっと見ちゃうとかがあったから、教室全体を見る視野の広さを意識してたかもしれない。

絶対そうだね。

困ってる人に、最初に声かけられる人になった気がする。なんか、スキルの使い方が一緒な気がする。勉強困ってる人見たら「どうした?」みたいな。

ふるさとじゃないですか。心のふるさとじゃないですか。札幌戻ってきたときに、まず挨拶に行きたい場所。絶対顔を出したい場所。かも。自分自身を見つめなおせる場所であり、心のふるさと。

それぞれの道を歩んだからと言って、ここだけの関係で終わらないように一緒に何かしたいねって思う。お互いまた話し合えたらいいよねって思うし、それを生徒も交えてもやりたいよねって思う。
卒業しても、他のスタッフとも、今どうしてんの?って話をしたいし、機会があれば、関わらせてもらった生徒と一緒に話をしたいっていうのがある。ここの空間をよくするっていうのもそうだけど、ここで作った縁っていうのを絶対切らしたくないって思う。

松田 卓也

自分はずっと教師になりたいと思っていたんですけど、(自分の大学だと)他の大学に比べて、指導力をつける機会が足りないと思って。それに勝るものが欲しくて。
で、ましゅー(松山先生:元アルバイトスタッフ)に誘われたのがきっかけで。

変な塾だなーって。
僕が思ってた塾と違う。塾っぽくないなって。僕は集団授業しか見たことなかったから、個別は初めてだったんですよね。会話で作っている授業っていうのがびっくりだった。テキストを見て、その通りに機械的に動くんじゃなくて、生徒一人ひとりとやりとりをしていて。これだったら自分も力をつけられそうだなって思って、決めたんですよね。
生徒に対して関係してる。今日どうだった?とか、学校どうだった?というのも聞いてた。うらやましかったですね、ちょっと。自分が中学生の時、そういうのが自分はあんまりなかった。そういうのが僕にもあったらなと思った。勉強が伸びるかどうかは別として、心の支えになったんじゃないかなって思いますね。

はじめの数か月は、早く辞めたいと思ってました。僕よりも前に入ってるスタッフは(働き始めてから)1年以上たってたんですよ。僕だけ(シフトに)入る時間も少なくて、できることが少なくて。やめちゃった子もいたんです。僕が入ってすぐに。だから自分は向いてないんじゃないかって思ったり、力ないんだなと思ったりしました。それまで自分は短所を長所で隠さなくちゃいけないというか、カバーしなくちゃいけないと思ってたんですよ。でもやってくうちに、そうじゃなくて、短所は短所で、いいんだって。それも一つの武器になるんじゃないかなってことを僕は教えてもらって。そこからちょっとずつ変わっていったかな。
だから、(はるは)自分も学べるっていうか。一緒に学べるっていう、特別な場所なのかなと思いますね。

河西先生(NPO法人はるの代表)と、松山先生と、佐々木先生(個別学習塾はるの教室長)と飲みにいって、めちゃめちゃに言われて。(笑)
僕全然コミュニケーションできないんですよーっていうちょっとくだらない冗談から入ったんですけど。気づいたら質問されまくってて。剥がされまくったんですよ。
でもそれを受け入れてくれたんですよ。そのままでいいんじゃないって。だから、一周回っていいやって。吹っ切れたっていうか。
それまでの僕は、理想が高いっていうか、ここまでいかないと、次に進めないとか、中途半端は良くない と思ってたんですよ。一番にならないと武器じゃないと思ってたんですよ僕は。ここまでいかないと次に進めないとか。でも、そういうわけじゃないんだなって思いました。そこから自分がよく見えるようになって。そういう経緯があったから、僕も生徒に対しては、理想を押し付けないようにしているし、だめだったらだめだったでいいんじゃないと言えるようになった。

その子との交流の時間を大切にしたいと思っていた。向こうも貴重な時間を使って塾に来てくれて、なおかつ自分との時間を作ってくれてるということで、それを「ここやっといて」だけだったらさみしいし。大学生を何で入れているかって教えてもらった時に、いろんな年代や学年の人と関わり合えるようにしたいと河西先生がおっしゃっていて、それは僕も共感出来ていたんで。うまく話せなくてもいいいかなと。ただほんとに時間を大切にして、向こうが話したいことがあったりとか、僕が伝えたい事を話せたらいいのかなって。それがほんとに勉強に生きなくてもいいかなと思ってて。10年後にこの塾に変な先生がいたなと思ってくれたらいいなって。それで少しでも生きていく上で、あんな変なやつもいたんだから、これから先、生きていけるでしょ、って、そういう考えでもいいかなって思ってるんですよね。なんか印象に残ればいいなって。勉強だけじゃないっていう。